第30回
[前編]『広辞苑』とデジタル辞書 ~第六版刊行の舞台裏
株式会社岩波書店 編集局『広辞苑』編集部 課長 上野 真志 氏

株式会社岩波書店
編集局『広辞苑』編集部
課長 上野 真志 氏
言葉の解説などで「『広辞苑』によれば…」と引用されることも多い国民的辞書『広辞苑』が10年ぶりに改訂されました。「ブログ」や「顔文字」などのネット/ケータイ関連用語や、「いけ面」、「うざい」、「ニート」などの新語も収録されました。今回の「連載 Front Edge」は、株式会社岩波書店編集局『広辞苑』編集部課長の上野真志氏に、『広辞苑第六版』の刊行にかけた思いや、新語の選定方法など、編集の舞台裏について、お話を伺いました。
「ことばには、意味がある。」
私は現在、『広辞苑』の編集部の責任者を務めており、今年の1月に第六版を発売しました。第六版では、1万語を新収録し、トータルで24万語を収録しましたが、幸いにも30万部以上の注文が殺到し、増刷が間に合わないかもしれないという状態をなんとか切り抜けたところです。初版が刊行されたのはいまから50年以上前の1955年で、累計では1100万部が発売されています。だいたい10年前後で改訂を行い、現在の第六版に至ります。ちなみに私が『広辞苑』と初めて関わったのは、入社して間もない頃に行った第四版の改訂作業でした。
新聞広告や駅貼り、書店のポスターなどでご覧になったことがあるかもしれませんが、『広辞苑第六版』の発売にあたって、「ことばには、意味がある。」というキャッチフレーズを採用しました。このキャッチフレーズには、新しく収録した語だけでなく、以前から収録されていて、皆が知っているような言葉にも注目し、その意味を見直すきっかけになればとの願いを込めています。新聞広告やポスターでは、手塚治虫さんや黒柳徹子さんなど、各界の著名人と言葉一つを結びつける形で、このメッセージを伝えることにしました。

初版から半世紀を経て第六版まで出版できたのには、読者ハガキなどによる読者からのご指摘やご意見を次の版に反映し、読者によって内容が磨かれてきたことが理由にあると思います。読者とともに成長してこられたことが一番の財産だと感じています。
追加候補には10万語を収集
いまお話ししたように、『広辞苑』は約10年の間隔で改訂を行っていますが、その編集は、新しい版を発売した翌日から次の版に向けた仕事が始まります。現在も第六版を出して間もない時期ですが、すでに第七版に向けた作業が動き出しています。
最初に行うのが、次の改訂で加える新語の候補を集めるという作業です。候補の収集方法は、分野によってさまざまで、編集者もいろんな工夫をしています。新聞に登場した新語をチェックするだけでなく、中学・高校の教科書の用語を調べることもあれば、旅行会社のパンフレットを大量に集めてきて温泉地の取り上げられ方を調べることもあります。今回の第六版の改訂作業では、『広辞苑』の携帯電話版で入力されたキーワードのうち、項目に該当しなかったもののリストなども参考にしています。そんなふうにして候補が集まったら、編集方針に基づき、どの言葉を採用するかを決めていきます。ちなみに、第六版の改訂時に収集した言葉は10万ほどになりました。扱う言葉の数が非常に多いため、何年もかけてこの作業を行います。
最終的にどの言葉を採用するかは、社会への定着度合いなどから判断します。定着の度合いというのを説明するのは難しいのですが、たとえば新聞の扱い方が参考になるかもしれません。新しい言葉が登場して間がない場合、その言葉の意味はコラムや別の記事で解説されます。その言葉がある程度知られてくると、別の記事ではなく、言葉の直後にカッコ付きで意味が書かれるようになります。そして完全に定着した段階では、そうしたカッコもなく、断りなく普通に使われるようになります。この最後の段階になったら、言葉が定着してきたと考えられるというわけです。
また、その言葉がまだ一般的でなくても、編集部や専門家が今後定着するであろうと判断した場合には、採用することもあります。たとえば「猛暑日」は、去年の4月に気象庁が予報用語の改訂を行った際に定義したもので、1日の最高気温が35度以上の日を言います。定義されて間もない用語ですが、今後は頻繁に使われるであろうと判断したため、第六版に収録することにしました。
新語の収録と並行して、現在の版に収録されている項目の解説文が古くなっていないか、という検討も行います。新しく生まれた意味や用法を書き加えたり、山の高さや都市の人口といったデータの更新を行ったり、という作業です。「平成の大合併」で大学や寺社の所在地が変わっていないかなどの確認もここに入ります。
使わない用語を削除しない理由
改訂作業では、このような流れで項目や用法を追加していくわけですが、一旦掲載した言葉が死語になったから削除するという方針はとっていません。『広辞苑』には、万葉集や夏目漱石、森鴎外などの文学作品に出てくる言葉も掲載しています。現在では誰も使用しないかもしれないのですが、だからといって、削除することはありません。それは、現在でもその作品を読めばその言葉を目にするからです。
例外はあります。たとえば以前、ある旧石器時代の遺跡が捏造されたことがありましたが、遺跡としての存在価値が失われたために、その遺跡の項目は削除しました。また、編集方針の変更によって収録する範囲が変化することもあります。たとえば『広辞苑』には東京の山手線の全駅は掲載されていませんが、これは、全駅掲載という編集方針をとらなかったということで、別種の重要な用語の掲載を優先させたと言えるかもしれません。
新たに掲載する言葉の選定を行ってあらためて気づかされたことは、カタカナ語が多いことです。前回の第五版は23万語収録していますが、カタカナ語ははじめて1割を超えました。『広辞苑』は万葉集で使われた言葉も収録していますので、奈良時代から現在までの長い歴史から考えると、この比率は非常に大きいでしょう。その傾向は今回も続くだろうと予想していましたが、実際に今回の第六版では、新しく収録した1万語の約4割がカタカナ語でした。これは、インターネットや携帯電話などの普及に代表されるように技術用語が増え、また経済でもヘッジファンドやCEOなど、カタカナやアルファベットの用語が多くなり、現代の日本語でカタカナ語の力が強くなってきてきたことを示していると思います。
アナログ辞書とデジタル辞書
これまでの改訂では、毎回1~2万語が追加されています。これは、時代の移り変わりとともに、使用される言葉も変化しているということを示しています。また、『広辞苑』の提供媒体も時代のニーズとともにバリエーションを増やしています。最初にCD-ROM版を発売したのはいまから20年以上前の1987年でしたが、現在では、CD-ROMはDVD-ROMに代わりました。また、電子辞書やパソコンの日本語変換辞書に組み込んだもの、携帯電話版など、さまざまな種類があります。

これらの辞書は基本的に同じもので、収録用語の数に違いはありませんが、それぞれにメリットがあります。後半では紙の辞書とデジタル辞書の違いや使い分けについてお話ししたいと思います。
(2008年5月28日掲載)
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